10年経って「東日本大震災」について想うこと

10年経って「東日本大震災」について想うこと

10年前、東日本大震災が起きました。
ここは名古屋で当時震度4でした。

もちろん普段体感しない地震の揺れなので、びっくりはしたものの、外に駆け出すほどでもなく。。。

しかし、東北はとんでもないことになっていました。

https://earthquake.tenki.jp/bousai/earthquake/detail/2011/03/11/2011-03-11-14-46-00.html

親戚や友人などもその地方にはおらず
テレビだけで惨状を見ていました。
しかし、我が家には子供がいるので、少々CMの無い普段と違うテレビを避けていた記憶があります。

こんな大惨事があって、今更思うのが自分自身が何か動けたかなということ。
震災にあった人たちに、、、対してということだけでなく。
自分の家を守るためにも、何か動いたかというと、動けていないのです。

もちろん、普段から震災時の避難道具は用意してあり、
外に出るときは、あれだけ持っていこう、と胸には秘めておりました。

しかし、やはり傍観者の立ち位置から抜け出せない自分がいました。

それから何年かして、親友が「福島に単身で出張へ行くことになった」と飲みながら話してくれました。

震災の放射能汚染の瓦礫を処理するための仕事だそうです。

もちろん、放射能の心配などいろんな疑問をしましたが、結婚もして子供もいる彼ですが、
「万が一死んでも、人の役に立ちたい」と言ったのが、とても印象的でした。

そして、彼はたまにこちらに帰ってきては一緒に飲み合います。
しかし、仕事の話はそんなにしない。
たわいものないことをただ、話して、酒を飲むのが自分たちのの見方でした。
そんな愚痴などの少ない彼でしたが、福島に行って格段に白髪が目立ってきて、
その心労を垣間見たのです。

一度喧嘩したかな、その時彼は「お前なんか写真撮ってるだけだろ」と言われましたが、妙に納得してしまい、全く腹が立たなかったのを覚えています。

彼からは「福島に遊びに来いよ」と数年前から言ってもらっていたのですが、
なかなか行けませんでしたが、
来る前に見てほしい映画があると言われて、10年という区切りで再上映されていた
「Fukushima50」をようやく見ることができました。https://www.fukushima50.jp/

大きな劇場でしたが観客は自分一人でした。
東海地方の人は関心が薄いのかなと、少し寂しい気持ちで拝見。

大変良く作られた作品で、最初から終わりまで自身で引くほどの大号泣。
この作品を見て4月ようやく行こうと決意。
原発の事故現場にほど近い場所まで行きます。

どんな写真が撮れるかわかりませんが、またブログにアップしたいと思います。

映画のラストシーンに桜並木があるところも連れて行ってくれるそうです。
期待を胸に進みます。

カメラを持って、今の現状を見てこようかと思います。

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